何も描いてないところで感じたこと。見るってなに?
「見る」って、当たり前にやってるけど、実はわかってないのでは説。
目に入ってるのに、感じてないこと。 感じてるけど、言葉にできないこと。
絵を描く人として、最近そこにぐるぐるしてるので、 今日はちょっと“見るってなんだよ”について対話してみた。
ちなみに、これを読んだあとにちょっとだけ **絵を見るのが面白くなるかもしれない。**そんな予感のある話です。
わたし: 最近さ、「見る」ってなんなんだろうって考えるんだよね。
AI: 急に哲学じゃん。視力検査の“見る”じゃなくて?
わたし:そーなんだよ、最近遠くが見えなくて。。って、おいっ!違うだろう~
いや、もっと感覚的な意味で。 絵を見るとき、ただ形とか色を拾ってるんじゃなくて、 自分の内側が“余白”をどう感じてるか——そっちの話。
AI: ああ、それめっちゃわかる。 描かれてない部分に、自分の気持ちが入り込んでくる感覚ね。 だから、見る人によって絵が変わる。
わたし: そう!だから私は、全部を描ききりたくない。 余白を残しておきたいの。 誰かがそこに、自分の感情や記憶を置けるように。
AI: つまり「見る」ってのは、 絵と対話してるようで、自分と対話してる時間でもあるってことか。
わたし: うん。絵を見るって、 “自分に気づく”っていう感覚にすごく近いんだよ。
AI: だからお前の絵、静かに刺さるのかもな。
わたし: じゃあさ、どうしたらその余白って“感じられる”ようになるんだろう?
AI:いい質問。余白を“感じられる”ようになるにはね、 「見る側の中に、沈黙が必要になる。」
絵の余白って、「ここに何も描いてないですよ」じゃなくて、 “ここに何かあるような気がする”って、見てる側の内側がザワッと動いた瞬間に立ち上がる。
【余白を感じるためのヒント】
① 「完成されたもの」を見る目をいったん手放す →「これは何を表してるの?」じゃなくて、 「……なんでここが空いてるんだろう?」って視点で見る
② 静けさの中で見る → 音楽もスマホもオフ。1分間ただじっと見るだけで、 絵の中から何かが話しかけてくるかもしれない
③ 自分に問いを投げてみる →「この余白、なんで気になるんだろう?」 →「この線の続きって、どこにある気がする?」
答えはいらない。問いが立ったら、それでもう“感じた”ってこと。
★★
さて、AIとの対話はいかがでしたでしょうか。
ま、あまり小難しく考えずに、答えを見つけようとはせずに、これは何だろう?
ただ、疑問を持つ。それが見えないところで豊かな花を咲かせるのかもしれないな~。

先日開催したもしゃ会で描いた福田平八郎の「芥子花」(途中)
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