午後、美術館でミロに会ったら線がゆるんだ。
ミロ展に行ってきた。
その日は午後半休を取ってまで、わざわざ。なんか、行かねばと思ったんだよね。
展示を観ているうちに、 「この絵を難しく見ようとしてた自分、なに?」と我に返る。
ありがたがってたの、バカみたいで、でもちょっと可笑しかった。
ミロの絵は、説明を超えてくる。 というか、説明をやめてる。
ただ、楽しんでよ、って絵のほうがこっちに語りかけてきた。
ドラえもんの色っぽいのもあったし、 虎の顔にも見える、犬にも見えるのもあった。
もう、なんでもいいじゃんって気になってくる。
それが良かった。 正解じゃなくて、問いがいっぱい転がってる。
その問いを、拾うかどうかは、こっち次第。
■ 初期ミロ:
「誰かのルールの中で、ちゃんとしてる自分」 画面の中で線たちが息をひそめてる。 慎重で、真面目で、「失敗しちゃいけない」って思ってる空気。 画面に漂うのは、ちょっと硬めの美術学校のにおい。 でもよく見ると、目の端っこでこっそり夢を見ているのがわかる。
■ 中期ミロ:
「夢と目覚めの境界で、生きてみる」 絵が寝言を言い始める。 線はぬるりと流れて、色はどこかから飛んできたような顔をしてる。 現実を信じすぎない感じ。 「これは何か?」と問うこと自体が、野暮になるフェーズ。 ちょっとずつ、重力を手放し始めている。
■ 後期ミロ:
「言葉になる前の、あの感じ」 絵が説明を拒否するようになる。 線は踊る、というより“跳ね返ってる”。 色は主役でも脇役でもなく、ただそこに「在る」。 何を描いたかじゃない。「この線を、どうしても描きたかった」っていう衝動だけが残る。
※言葉にしにくかった気持ちをAIとの対話で少しずつ形にしました。
人によっていろんな感想があるなと感じていただければ。
★さてさて、話は変わりましてお知らせです。
この度『The Cabinet of Lines』の日本語版をkindle出版いたしました!
タイトルは「線のアトリエ」。
英語と日本語の文字が持つ雰囲気から表紙のデザインも少し変えました。
日本語を英語と同じレイアウトにすると何かが違う。。。
中の絵は同じですが、日本語訳は意訳しています。英語とは違う空気を感じていただけたら。
ブログのほうでは英語と日本語という文字の違いがデザインにまで影響を与えているという驚きを書いています。
下の画像をクリックするとkindleの販売ページへ飛びます。
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