静けさの中で豊かさを見つけるアートの視点

思ってもいなかった出会いが未来を変える。
makiart 2024.11.30
誰でも

こんばんは。

先日、山種美術館で開催されている福田平八郎の展覧会を訪れ、その作品に心を奪われました。

福田平八郎は日本画家です。以前デイヴィッド・ホックニーの摸写をした時に福田平八郎から影響を受けたという話を知り少し調べたことがありました。その時とてもすてきな絵だなと感じました。今回もしゃ会で日本人画家の絵を模写したいなと思い浮かんだのが彼です。

私たちが普段、何気なく見ている自然の風景。たとえば、庭に咲く花、空に浮かぶ雲、水面のきらめき。福田平八郎の作品を目の前にしたとき、私はそれらの当たり前が、とてつもない存在感と深い意味を持っていることに気づかされました。特に印象的だったのは、作品に宿る「空気感」。描かれているのは自然の一部でありながら、そこに流れる時間や空間全体が静けさと共に感じられるのです。

思い返してみると、私自身、これまで絵を描くとき「どれだけ色や形を足して魅力を高めるか」にばかり目を向けていました。特にモネやゴッホに影響を受けた模写をしてきた中では、鮮やかな色彩や光、ダイナミックなエネルギー感に憧れてきました。でも、福田平八郎の作品には「描かないこと」の力強さがありました。余白やシンプルな構図が、むしろ作品に深みを与えていたのです。

この「描かない」というアプローチは、絵だけに限らないと感じました。私たちの日常生活でも、どれだけスケジュールを詰め込むか、どれだけ多くのものを持つか、そんな「足し算」による豊かさを追い求めがちですよね。でも、引き算をしてみることで見えてくる本当の価値や美しさがある。福田平八郎の作品は、まさにそのことを教えてくれたような気がします。

また、自然そのものが持つ静けさや豊かさにも改めて気づかされました。竹の一本一本、花の一枚一枚を見つめると、そこには言葉にならない生命の息吹が宿っています。それを「そのまま」描くのではなく、空気感や時間まで表現する。そんな福田平八郎の作品からは、「自然との対話」の大切さを学んだように思います。

展覧会を観た後、私はこんな問いを自分に投げかけました。「描かないことで何を伝えたいのか?」この問いを持つことで、作品がより深いものになる予感がしています。

皆さんもぜひ、日常生活にこの「引き算の美学」を取り入れてみませんか?意識的に少し立ち止まり、余白を作る。その余白には、その人自身の静けさや自然の美しさが宿るかもしれません。

今回はそんな余白を意識しながら描いてみました。

タイトル「青の休息」 アクリル絵の具

タイトル「青の休息」 アクリル絵の具

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